自分の感受性くらい 自分で守れ

 

次世代のグローバルリーダーの育成には「根っこの教育」が必要だということについて、次回以降書いてゆきます。

「根っこの教育」というと、抽象的で何やら難しそうですが、分解すればそれは、「自立」「母語の確立」「学びのセンス」という3つを育むことです。

この「自立」ということを、ここのところ頭の中で転がしていました。どうすれば「自立」を育めるかは、次回以降で触れますが、今回はその番外編のようなものを先に書きます。

大いなる精神は静かに忍耐する。
(Der große Geist toleriert ruhig.)

ドイツ古典主義文学を代表する文豪、フリードリヒ・シラーの有名な言葉です。

小さな精神が大きくなることによって自立が促進されるとも言えるし、自立が促進されることによって大きな精神になるとも言えます。

であれば、自立を考える手助けとして、大きな精神がどんなものであるかを考えればいい。

シラーの言葉は、その指針になるのではないかと思います。

静かに忍耐するのではなく、日々起こるささいな事にいちいち腹を立て、文句をいったりするのでは、大きな精神とはいえませんよね。

そういうあなたはどうなの?と問われれば、そういうことが全くないとは言えません。が、しかし、ぶつぶつ文句を言うことが賢いことの証明であると信じているような、小さな大人にはなりたくないので、ぶつぶつ文句を言わないで済む精神構造を作り上げてきたつもりです。

 

頭の中で「自立」をさらに転がしていると、高校生の時に我が胸にぐさりと突き刺さり、それ以来突き刺さったままの、大好きな詩が心に浮かびました。

茨木のり子の「自分の感受性くらい」という、1連が3行でできた、6連の短い詩です。

  駄目なことの一切を
  時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄

という第1連から、ぐさぐさ胸に突き刺さるのですが、圧巻は最後の第6連。

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ

自立とは、自分になにか不都合が起こったときに、自分で引き受ける、背負ってゆくことだと思うのです。
自分以外の人やもの、環境や境遇や人間関係に責任転嫁するのではなく。

そして、茨木さんの詩の「感受性」という言葉を「機嫌」という言葉に置き換えてみると、それが自立するための必要条件の一つであるように思えてきました。

  自分の機嫌くらい
  自分で取れ
  ばかものよ

突き抜けた学力を持つ生徒の9割以上に共通している特徴の一つに、機嫌が悪くなることがほぼ無い、ということがありますから。

自分で自分の機嫌をコントロールすることができることは、それが意識下であれ無意識下であれ、学びに向き合ってゆくときの、大切な姿勢だと思います。

 

ビジョン心理学がしっくりくる私にとって、自立が最終段階ではないことは百も承知なのですが、少なくとも依存(小さい人)から成長して自立(大きい人)へと向かわなければ、その先の相互依存(共同創造)へはたどり着けないですから。

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